「与助」は、屋号から。

 私たちの住む地域では、屋号でその家を呼ぶ文化が残っており、私たちは「与助」と呼ばれています。当家の家系図を遡ると、江戸時代の寛政9年(西暦1797年)の初代に「与助」と記載されています。先祖代々、当地で暮らしを営んできた歴史、築き上げた土台の上で育つ私たちの牛のブランド名に、屋号を使うことにしました。

 私たちが畜産業を始めたのは昭和54年です。それ以前は畑作や果樹(リンゴ)を栽培しつつ、戦後は競走馬の生産も行っていました。その競走馬の生産は昭和52年頃に終わってしまいますが、その競走馬を飼っていた厩舎で牛を数頭飼い始めた事が始まりです。

 最初のころは日本短角種の肥育(肥育とは食 肉用の牛を飼育すること)、その後は、ホルスタインや交雑種(黒毛和牛とホルスタインの掛け合わせ)の肥育を行っていました。その後、平成13年に最初のメスの黒毛和牛2頭を導入します。その2頭から産まれたメスの子牛を再び母牛とし、黒毛和牛の頭数を増やしていきました。現在「与助の牛」を支える母牛はすべてこの2頭の血を引いた牛になります。